静かな祈り。
8月6日、広島はいつもの朝を迎え、祈りの日を迎えた。
68年前の今日も多くの人にとってはいつもどおりの日であるに違いなかった。
しかし、8時15分。人類は自らのタブーを侵し、取ってはならない戦術を行使した。その背景にある戦略は最近になってこれまで喧伝されてきた説とは違う説が語られた。
理由はどうあれ、手をつけてはいけなかった。 それなのに…
祈りの時間。わが職場でも誰云うとなく、立ち上がり、みんなで黙とうを捧げました。
平和祈念公園の近くには、多くの慰霊、供養の塔があります。周辺以外にも広島市内、広島周辺都市にさえ、祈りのモニュメントはあるのです。
皆さん、決してこの日を忘れてはいけません。なぜ、このような式典が行われているのか、考えなければいけません。それが罪を犯してしまった人間の努めなのです。
ただ、皆さん。 こうして静かに祈れるということは、この上ない幸せです。大きな犠牲の上に成り立っている幸せなのです。
まだ、各地で紛争や争いがあります。争いの中で、憎しみの中で祈るのではなく、心安らかにすべての人の幸せを祈れるということは幸せなことなのです。